みかぐらうた おふでさき おさしづ(三原典)

 みかぐらうた

「みかぐらうた」は、つとめの地歌として教えられたもので、五節からなり、かぐらの地歌(第一節~第三節)と、てをどりの地歌(第四節=よろづよ八首、および第五節=一下り~十二下り)に分かれます。手振りが付き、特に後者は数え歌になっていることから、最も身近で親しみやすい教えの書でもあります。(ようぼくハンドブック 56頁 道友社

 

おふでさき

 「おふでさき」は、神のやしろとなられた教祖(おやさま)が、自ら筆を執って記された書き物で、十七号、千七百十一首のお歌からなっています。教えの全容が述べられていますが、特につとめの完成を最大の眼目としています。(ようぼくハンドブック 56頁 道友社

 

おさしず

 「おさしず」は、教祖(おやさま)ならびに本席様による口述の教えを筆録したものです。親神様の方からその時々に応じて神意を述べられたものを「刻限のさしづ」、人間の側からの伺いに対して答えられたものを「伺いのさしづ」といいます。(ようぼくハンドブック 56頁 道友社

 

天理教教典

  原典に基づき、教会本部が教義の大綱を体系的に編術した書物。信仰の基準となる正統教義を示すとともに、信仰生活の拠り所となるものです。全十章からなり、前後各五章の前編、後篇を、それぞれ内容によって教理編、信仰編とも称します。昭和二十四年(1945年)刊行。(ようぼくハンドブック 57頁 道友社

陽気ぐらし

元の理

 この世の元初りは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。(天理教教典 第三章 元の理 25頁)

 

おふでさき

月日にわにんけんはじめかけたのわ

よふきゆさんがみたいゆへから (十四号 25)

 

なにもかもよふきとゆうハみなつとめ

めずらし事をみなをしえるで  (七号 94)

 

しやハせをよきよふにとてじうぶんに

みについてくるこれをたのしめ (二号 42)

 

だん/\になにかの事もみへてくる

いかなるみちもみなたのしめよ (四号 22)

 

みかぐらうた

いつもたすけがせくからに

はやくやうきになりてこい (四下り目 5)

 

いつまでしん/\したとても

やうきづくめであるほどに (五下り目 5)

 

おさしづ

皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。 (明治30年12月11日)

 

天理教教典

 たすけの道にいそしむ日々は、晴れやかな喜びに包まれ、湧き上がる楽しさに満たされる。それは、常に、温かい親神の懐に抱かれ、人をたすけて我が身たすかる安らぎの中に身を置くからである。これが、陽気ぐらしの境地である。

 親神は、陽気ぐらしを見て、共に楽しみたいとの思わくから、人間を創められた。されば、その思召を実現するのが、人生の意義であり、人類究極の目的である。(第十章 陽気ぐらし 92頁)

 

格言 名言 その他

ゆさん 【遊山】

①山へ行って遊ぶこと。山遊び。

②よそへ遊びに行くこと。気晴らしに遊びに出かけること。「物見遊山」「遊山客」「遊山に出かける」(三省堂大辞林

 

仏教で、すでに悟りを得て、山紫水明の地に悠々自適する境をいったものだが(禅語)、一般では遊びに出かけるのをいうようになった(物見遊山)。(世界宗教用語大辞典)

 

あそび 【遊び】

身体的・精神的活動のうち食事,睡眠,呼吸,排泄など直接生存のための活動を除き,仕事と対立する概念である活動をいう。仕事は他の目的達成のための手段であり,仕事自体は苦痛であることも,また強制されることもある。それに対して遊びは活動自体が喜びや満足をもたらし,他から強制されず,自発的に行われ,通常まじめな目的や目標からの離脱が含まれている。しかし,子供の活動には仕事と遊びの分化がなく,子供にとっては遊びが仕事である。遊びの活動を通じて新しい機能を獲得し,社会の習慣,役割を身につけ,課業や仕事を分化させるようになる。したがって子供にとって遊びは心身の発達に重要な役割をもつものであるが,成人にとっては日常生活や仕事から生じる緊張をやわらげ,気分を一新し,疲れを休め,新しい生活意欲を高める手段としての効用がある。(ブリタニカ国際大百科事典)

 

楽しむ

論語

『子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者』(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)

意味

あることを理解している人は知識があるけれど、そのことを好きな人にはかなわない。あることを好きな人は、それを楽しんでいる人に及ばないものである。

 

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